織田信長に関する詳しい説明
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織田信長について

尾張国(現在の愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男で[6]、幼少時に那古屋城主となる。急死した父の後を受けて家督を継ぎ、同母弟・織田信行(信勝)との家督争いを経て尾張国を統一した。以降、尾張国守護代の一家老に過ぎなかった織田家(弾正忠家)を卓越した手腕で全国最大勢力にまで押し上げる。

永禄3年(1560年)、兵力的に優位にあった今川義元を桶狭間の戦いで破り、新興勢力として台頭。美濃国斎藤氏を滅ぼしてからは、将軍職に就任した足利義昭を擁立。義昭の権威のもと諸大名との外交・紛争を調停する天下の主催者としての役割を代行した。のち将軍義昭と反対勢力との抗争に至るが包囲網を撃破、元亀4年(1573年)には将軍義昭を追放し、室町幕府は滅亡した。以後、天下人として統一事業(天下布武)を推し進め、領国内においては楽市楽座や検地など政策を用いた(織田政権)。天下統一を目前にして家臣明智光秀の謀反本能寺の変により志半ばにして横死した。