大永2年(1522年)、『張州府誌』によると尾張国愛知郡上社村(現:愛知県名古屋市名東区)で生まれる(異説あり)。生年には大永6年(1526年)説や大永7年(1527年)説もあり、明確ではない。出自は不明で柴田勝義の子といわれるが、確実な資料はない。おそらく土豪階層の家の出身であると思われる。
若いころから尾張の織田信秀の家臣として仕え、尾張愛知郡下社村を領したという。地位はわからないが信長継承の頃には織田家の重鎮であった。天文20年(1551年)に信秀が死去すると、子の織田信行(信勝)に家老として仕えた。