上杉 謙信

上杉 謙信(うえすぎ けんしん)/上杉 輝虎(うえすぎ てるとら)は、戦国時代の越後国の武将・大名。後世、越後の虎や越後の龍、軍神と称される。

内乱続きであった越後国を統一し、産業を振興して国を繁栄させた。他国から救援を要請されると秩序回復のために幾度となく出兵し、その軍事的手腕を発揮して武田信玄、北条氏康等の敵対勢力に対抗した。さらに足利将軍家からの要請を受けて上洛を試み、越後国から西進して越中国・能登国・加賀国へ勢力を拡大した。

柿崎 景家

永正10年(1513年)、越後の国人である柿崎利家の子として生まれる(生年には異説もある)。 はじめ長尾為景に仕え、為景没後は長尾晴景に仕えた。晴景と長尾景虎(上杉謙信)が家督をめぐって争ったときには、景虎を支持している。

謙信のもとでは先手組300騎の大将として重用され、永禄元年(1558年)に春日山城の留守居役を務めている。永禄4年(1561年)の小田原の北条氏攻めにも参加し、直後の甲斐武田氏との第4回川中島の戦いでは先鋒を務め、八幡原の武田信玄の本陣を攻め、武田軍本隊を壊滅寸前にまで追い込んだ。

宇佐美 定満

宇佐美氏は伊豆国宇佐美荘(現在の静岡県伊東市宇佐美)から出た一族である。定満は延徳元年(1489年)、宇佐美房忠の子として生まれる。父・房忠は越後守護・上杉定実の復権を目指して長尾為景と戦い、永正11年(1514年)に戦死している。

定満は越後守護の上杉氏の一門である上条上杉家に仕え、天文4年(1535年)に上条定憲と共に上条上杉家の再興を目指して長尾為景と戦ったが、天文5年(1536年)に春日山城下で敗北すると、為景に降伏した。